集成材について

 

 

 

日本の仏像も集成材を使っている。

日本の仏像彫刻は金銅仏から始まりましたが、7世紀には楠材を使った木彫像が造り始められました。1本の木から造る彫刻は、年数が経つにつれ乾燥などによる干割れが生ずることが多く、10世紀中頃になると寄木造りの技法が誕生しました。この寄木造りとは、複数の木材を乾燥させて、別々に彫刻をした後、再び矧ぎ寄せて完成させる方法、または乾燥材を矧ぎ寄せてから彫刻するかの方法で、現在の集成材の技術と全く同じ方法なのです。寄木造りの技法の開発によって、第一に干割れを防ぐことができるようになり、また材料調達が容易になりました。東大寺南大門の仁王像は、高さ8メートル余り。これは、各部分を分けて作業し最後に接着することによって、短期日で完成することができました。

 

東大寺大仏殿にも集成材が使われていた。

東大寺の再々建の時にも、昔のように長大材を集めることが困難だったため、柱は長さを継ぎ、何本か寄せ集めて太くする合成柱の技術が取り入れられました。すでに300 年も昔に、集成材の技術が大型建築物に用いられていたのです。同じ様に、奥州・中尊寺金堂では、柱には黒漆が塗ってありわからなかったのですが、昭和37年の国宝解体修理の時に、杉の芯材の回りにブナ材を接着した集成材であることが確認されました。

 

飛行機のプロペラにも集成材が使われていた。

日本の集成材は、狂わないもの、大きなものを作ろうとしたことから出発していますが、強いものを作ろうして大量生産されたのは、大正末期から昭和初期に作られた、飛行機のプロペラです。第2次世界大戦が激しさを増すと、電波探知機に影響されない木材が見直され、ブナやカバなどを材料とした積層材が復権しました。陸軍航空技術研究所、及び、海軍航空技術廠ではかなりの頻度で実用化されていました。また、木曽ヒノキ集成材を使って、翼長30mという、当時として超大型の木製輸送機が完成した記録があるくらいです。現在、航空科学博物館に展示されているプロペラは、剥離はなく今でも使えるほどです。

 

現代の宮殿内装には集成材が採用された。

昭和35年、宮内庁に新宮殿の造営機構が設けられ、施工は建築業界の大手5社が「宮殿造営工事協同企業体」を結成して請け負いました。実はその新宮殿の内装には集成材を使用することに決まったのです。また内装の化粧ばりとなる天井材、付け柱、長押、床材などに使用する日本特産の銘木の物色が始められ、ヒノキ、スギ、マツ、ツガ、ケヤキなどの無節良質の長大材が調達されました。この宮殿建築の内装に集成材が採用されたことは、「集成材は良い材料だ」ということをなお一層深めることとなりました。

 
出典:「集成材の今昔」より